国防軍の犯罪:絶滅戦争1941−1944の諸次元

Hamburger Institut fuer Sozialforschugn(Hg.),

Hamburg 2002 全展示物のカタログ

  ドイツ国防軍犯罪展 
     (ベルリン2002年1月)







国防軍犯罪展の会場でデジカメで移した写真とその説明:


41年6月22日 ドイツ大軍、対ソ奇襲攻撃開始  「バルバロッサ作戦(Fall Barbarossa)」発動

       41年7月3日、スターリン、パルチザン戦争をラジオで呼びかける。

       

  
      
      パルチザン決起の呼びかけ:
      「電線を切れ、鉄橋を爆破しろ、敵側の建物を燃やせ!」



     
  (アインザッツグルッペは、軍の進撃の後、軍集団の後方地域において治安平定に当たる)
   

  41年7月→8月→9月とソ連軍民の抵抗反撃の激化

  41年8月ー9月 プロテクトラート・ベーメン・メーレンの不穏→「鉄の心臓」のハイドリヒがプロテクトラート総督代理に。
             「旧ライヒ(帝国本土)とプロテクトラートのユダヤ人を臨時的に東方へ」 
 

       
             (北方軍集団:レニングラード包囲)


   41年8月中旬から9月下旬、キエフ攻防戦の激戦→ドイツによるキエフ占領

           
  41年9月末、キエフ攻防戦終了後の混乱、ソ連秘密工作員によるドイツ軍火薬庫爆破など、キエフ大火。
           →報復・・・キエフ郊外・バビヤールの渓谷でユダヤ人大量虐殺(残された大量の衣類等の山

    バルカン半島(セルビア)でも抵抗激化     −ドイツ人兵士一人の犠牲に報復として100人を処刑(カイテル命令)
          (1941年9月16日付、カイテルの命令

  41年10月5日 モスクワ攻略作戦「タイフーン」開始。

                
      (モスクワを目指す中央軍集団の後方地域の重要拠点ミンスク)


  41年秋→冬、独ソ戦の泥沼化。第三帝国の冬の危機(Winterkrise)


 41年12月8日(現地時間、及びドイツ時間では12月7日) 日本の真珠湾攻撃

 12月11日 ドイツとイタリアは対米宣戦布告。ヒトラーは、国会で対米宣戦布告を説明(ソ連人捕虜380万余、ドイツ人兵士の戦死者16万人余、などの数字を挙げた)。

12月12日 ヒトラーがナチ党大管区長などに宣戦布告を説明。

 41年12月18日、ヒムラーのヒトラーとの会談メモ「ユダヤ人、パルチザンとして根絶」(Juden als Partisan auszurotten)
     
         ユダヤ人とパルチザンとを一緒くたにする・・・その意味は?
 
  『ユダヤ人はパルチザン、 パルチザンはユダヤ人』

    独ソ戦: 絶滅戦争・世界観戦争 「伝統的意味での戦争ではない」